東照宮遺訓


東照宮遺訓』
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思へば不足なし。
心にのぞみおこらば、困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基。
怒りは敵と思へ。
勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば害其の身に至る。
己を責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

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家康は今川義元の下にて十数年の人質生活を経て、桶狭間の戦いでの今川敗北に乗じ、岡崎に帰って独立、信長と同盟を結ぶ。
その後も、武田信玄には三方ヶ原の戦いで敗れたり、信長の死後秀吉に従うなど、我慢を続ける。
1603年、関が原の戦いの後、61歳にして漸く征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府を開く。
上の遺訓は重いです。

信長と秀吉と家康 (PHP文庫)

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